2025/08/06
イソチオシアネートとは
イソチオシアネートは、ワサビやカイワレ大根などのアブラナ科野菜に含まれる辛み成分である。植物体内では、糖と結合した前駆体として存在し、噛むなど組織を破壊することにより、細胞内顆粒に含まれているミロシナーゼという酵素により分解されて生成する。
近年、このイソチオシアネートに抗がん作用のあることが発見され、注目を集めている。培養細胞を用いた(in vitro)実験では、様々ながん細胞の増殖を抑制することが判明しており、また動物体を用いる(in vivo)実験でも、がんの縮小効果や転移に抑制効果のあることが報告されている。
イソチオシアネートには抗菌作用や殺虫作用があり、自然界では植物に菌が侵入したり、昆虫に食べられたりしたときに発生して、植物体を防御する仕組みとして機能している、と考えられている。
イソチオシアネートの前駆体は、主に種子に多く存在しており、発芽期に抗菌作用を発揮すると考えられている。一部のアブラナ科野菜では、カラシナや高菜のように成葉にも存在する。イソチオシアネートは、R-N=C=S という構造をもち、N, S の貯蔵形態とも考えられる。そのため、種子中のイソチオシアネート前駆体は、発芽とともに減少する。
医学分野では、イソチオシアネートの抗がん作用をがんの抑制や予防に使用できないか、という方向で研究が展開されているので、植物分野としては、イソチオシアネート前駆体の生合成やその環境制御などについて研究を進め、必要に応じて大量に生産できる体制を整備しておく必要がある。
イソチオシアネートの化学的性質
イソチオシアネートは、R-N=C=S という共通する構造をもっている。この構造の特徴は、中心の C の電気陰性度が N, S に比べて小さいので、両側の N, S に電子を引きつけられ、C が電気的にプラス側に傾いていること(求電子性)である。そのため、マイナスにチャージした反応基と結合する性質がある。特に生体内に多いタンパク質のチオール基やアミノ基、グルタチオンのシステインなどと反応する。その結果、細胞内に多くの作用点があることになる。
イソチオシアネートのR基は、脂肪族または芳香族であり、生合成の過程でいくつかのアミノ酸に由来する。さらに、このR基は、イソチオシアネートの水に対する親和性を決めており、辛みの強さを決めている。
イソチオシアネート(ITC)が引き起こす辛味、刺激感、そして時には催涙作用(涙を誘発する作用)は、主としてTRPA1(Transient Receptor Potential Ankyrin 1)と呼ばれるイオンチャネルの活性化によって媒介される。TRPA1は、カルシウムイオンやナトリウムイオンなどを透過させる非選択的な陽イオンチャネルである。TRPA1チャネルは、主に口腔、鼻腔、皮膚などに分布する感覚神経(特に侵害受容器)の神経終末に発現している。また、腸管のEC細胞など、非神経細胞にも発現が見られる。
イソチオシアネート(ITC) | 前駆体 | 主に含む野菜 |
---|---|---|
アリルイソチオシアネート allylisothiocyanate (AITC) |
シニグリン Sinigrin |
ワサビ、和からし、 辛みダイコン、ケール |
スルフォラファン Sulforaphane(SFN) |
グルコラファニン Glucoraphanin |
ブロッコリー、ケール |
3-ブテニル-イソチオシアネート 3-butenyl-isothiocyanate |
グルコブラッシシン Glucobrassicin |
コマツナ、キャベツ |
4-ペンテニル-イソチオシアネート 4-pentenyl-isothiocyanate (PEITC) |
グルコエリシン Glucoerucin |
コマツナ |
2-フェネチル-イソチオシアネート 2-phenethyl-isothiocyanate |
グルコフェネチル Gluconasturtiin |
クレソン |
ベンジルイソチオシアネート Benzyl-isothiocyanate |
グルコトロペオリン Glucotropaeolin |
クレソン ダイコン |
4-メチルチオ-3-ブテニル-イソチオシアネート 4-methylthio-3-butenyl-isothiocyanate |
グルコラファサチン Glucoraphasatin |
辛みダイコン、ワサビ、カラシナ |
P-ヒドロキシベンジルイソチオシアネート p-hydroxybenzyl-isothiocyanate |
シナルビン Sinalbin |
白カラシ(white mustard) |
スルフォラフェン Sulforaphene |
グルコラファニン glucoraphenin |
ダイコン |
6-メチルスルフィニルヘキシルイソチオシアネート 6-methylsulfinylhexyl-isothiocyanates (MSITC) |
グルコブラシキシン Glucobrassicin |
ワサビ |
ITC(特にAITCなど)は、TRPA1チャネルのアゴニスト(作動薬)として作用し、チャネルに結合して活性化させる。この活性化の分子メカニズムには、ITCの求電子的な性質が関与しており、TRPA1タンパク質内に存在するシステイン残基のチオール基(-SH)と共有結合を形成することによるチャネル構造の変化が有力視されている。 TRPA1チャネルが活性化されると、細胞外から細胞内へ陽イオンが流入する。これにより感覚神経細胞が脱分極し、活動電位が発生して中枢神経系へと信号が伝達される。この一連のプロセスが、私たちが感じる「辛味」「刺激感」「痛み」、あるいは化学感覚(Chemesthesis)として認識される。例えば、ワサビを食べた際に鼻にツーンとくる刺激は、揮発性の高いAITCが気相を介して鼻腔内のTRPA1を発現する感覚神経を刺激するためと考えられている。この揮発性による鼻腔への到達は、辛味感覚の重要な側面である。
イソチオシアネートのR基が脂肪族または芳香族で脂溶性が強ければ、分子全体として揮発性となり、上記TRPA1チャネルに結合しやすくなり、辛みが強くなる。一方で、スルフォラファンのR基にはスルホン基が結合しているので水に可溶であり、イソチオシアネートの中では辛みが弱い。
イソチオシアネートはR基の種類により多くあり、自然界には100種以上のイソチオシアネートがあると報告されている。次に示す表には代表的なものを挙げる。
イソチオシアネートの抗がん作用
イソチオシアネートの抗がん作用については、多くの報告がある。その中で、特に重要な論文を紹介する。
まず、乳がん細胞において、スルフォラファンが乳がん細胞の増殖を濃度依存的に抑制することを報告した論文(Ying Zhang, et. Al. (2022)
Sulforaphane suppresses metastasis of triple-negative breast cancer cells by targeting the RAF/MEK/ERK pathway. Nature 40 24 March.)がある。次に、アリルイソチオシアネート(AITC)が膀胱がんの細胞に作用して、がん細胞にアポトーシスを誘導すること、細胞分裂の抑制は、AITCがチューブリンタンパク質のSH基に結合することに起因していることを報告した論文(CELL BIOLOGY | VOLUME 286, ISSUE 37, P32259-32267, SEPTEMBER 2011 Allyl Isothiocyanate Arrests Cancer Cells in Mitosis, and Mitotic Arrest in Turn Leads to Apoptosis via Bcl-2 Protein Phosphorylation)がある。この二つの論文は、イソチオシアネートが、その作用点を含めて、明確にがん細胞の増殖を抑制したことを証明している。
がん細胞の無秩序な増殖は、細胞周期の制御異常に起因する。細胞周期は、G1期(DNA合成準備期)、S期(DNA合成期)、G2期(分裂準備期)、M期(分裂期)からなり、各期の移行はサイクリンとサイクリン依存性キナーゼ(CDK)の複合体によって厳密に制御されている。また、DNA損傷などを感知して周期の進行を一時的に停止させるチェックポイント機構が存在する。イソチオシアネート(ITC)は、これらの制御点を標的として細胞周期の進行を停止させ、がん細胞の増殖を抑制する。観察される細胞周期停止のポイントは、ITCの種類やがん細胞のタイプによって異なる。
G2/M期停止: SFN、PEITC、AITCなど多くのITCで、G2期からM期への移行を阻害するG2/M期停止が報告されている。これは、M期への進行に必須なサイクリンB1/CDK1複合体の活性制御に関わるCdc25ホスファターゼの抑制や、サイクリンB1自体の発現低下などが関与していると考えられている。G1期停止: トリプルネガティブ乳がん細胞に対するSFNの効果として、G1期での停止が報告されている。G1期停止には、CDK阻害タンパク質であるp21やp27の発現上昇が関与することが多い。 これらの細胞周期停止は、がん細胞が増殖するのを防ぐだけでなく、DNA損傷修復の時間を与えたり、あるいは修復不可能な損傷がある場合にはアポトーシスへと細胞を誘導したりする役割も持つ。
イソチオシアネートは、肝臓における異物代謝において、解毒作用を促進することにより間接的に抗がん作用を表す。また、腫瘍が一定以上の大きさに増殖するためには、栄養や酸素を供給するための新たな血管網の形成(血管新生)が不可欠である。この血管新生もイソチオシアネートによって抑制されることが判明している。また、がん細胞が原発巣から離れて他の臓器へ移動し、二次的な腫瘍を形成する転移は、がんによる死亡の主要な原因である。イソチオシアネートは、これらのプロセスを阻害する作用も持つことが示されている。
今後の課題
このように、イソチオシアネートが抗がん作用をもつことは明白である。そのため、がんの治療だけでなく予防にも効果を発揮すると期待される。しかしながら、イソチオシアネートをがんの治療および予防に使用するには、まだいくつかの課題がある。
まず、治療に使用する場合であるが、がんに罹患したからといって、辛いワサビを大量に毎日食べるのは苦痛である。辛み成分は、噛んだときに出る酵素の作用によって出てくるので、野菜を熱処理すると酵素が失活して、辛みは出てこない。その場合、腸内細菌によって前駆体が分解され、イソチオシアネートが遊離して、腸から体内に吸収されることが分かっている。また、先にも述べたように、アブラナ科野菜に含まれるイソチオシアネートは、主に貯蔵器官である種子に多く存在している。そのため、ブロッコリーのスプラウト(芽生え)のように、スルフォラファンを芽生えで食することもできる。しかし、イソチオシアネートを治療に使うには、材料となるイソチオシアネートを大量に生産できる栽培方法の開発が待たれる。
イソチオシアネートを予防に使用することは、今後大きく期待されるが、大部分のアブラナ科野菜では、通常食べる葉やブロッコリーの花茎などには、イソチオシアネート前駆体の含量は低い。できれば、通常食べているアブラナ科野菜の葉などにイソチオシアネート前駆体を多く生産させる栽培技術の開発が求められている。植物工場では、一般の土壌栽培と比べて、光や養液組成など、栽培要件の組み合わせを変えることができるので、イソチオシアネート前駆体の生成を促進させる栽培方法の開発が可能かもしれない。植物工場技術の大きな課題である。