2025/08/19
がんの原因として、正常な細胞分裂の際に生じる偶然の「コピーミス」が主要な役割を果たす、とする説が科学誌に発表されたのは2015年である。この論文は、米国のジョンズ・ホプキンス大学の研究者であるクリスチャン・トマセッティ博士とバート・フォーゲルシュタイン博士によって、2015年1月2日付の科学誌『Science』に発表された。
彼らの研究は、様々な臓器でがんの発生率が大きく異なるのはなぜか、という疑問から出発した。そして、各臓器の幹細胞が生涯に行う分裂の回数と、その臓器のがん発生率が非常に強く相関することを発見した。これにより、がんの発生における遺伝子変異の多くは、避けられない「DNA複製の際の偶然のエラー(コピーミス)」によって生じるものであり、一部のがんは「不運(bad luck)」としか言えない側面があると結論付けた。
同研究チームは2017年に新たな論文を発表し、このモデルをさらに洗練させた。そこでは、がんの発生を「環境要因」「遺伝的要因」「コピーミス」の3つに分け、それぞれがどの程度寄与するかを分析した。その結果、がんの種類によって割合は異なるものの、がんの発生に必要な複数の遺伝子変異のうち、大部分は偶然のコピーミスによって蓄積するという結論を改めて示した。
このコピーミス説には、いくつかの疑問がある。
1)まず、様々な臓器でがんの発生率が異なる、としているが、心臓ではがんが少なく、肝臓ではがんが多い。心臓も肝臓も、発生過程で細胞分裂を繰り返し、生まれた時にはほぼ同じ程度の大きさになっている。今、単純化して考えると、ほぼ同じ程度の細胞分裂を繰り返しているのに、コピーミス説ではなぜ心臓にがんが少なく、肝臓にがんが多いかを説明できない。
2)さらに、彼らの説では、生涯の分裂回数とがん発生率との間に相関がある、としているが、肝臓に慢性炎症が起きると、細胞分裂を促進させる因子が放出される。その部位にがんが発生すると、さらに細胞分裂が多くなる。この細胞分裂をカウントして、肝臓の細胞分裂が多い、としているのではないか。コピーミス説の説明によると、慢性炎症による細胞分裂の増加も、臓器の細胞分裂の増加に加えた説明をしている。すなわち、原因として慢性炎症があり、その結果として細胞分裂の促進(〜がんの発生)があるのに、結果と原因とを逆にして、肝臓には細胞分裂が多い、だからがんが発生する、としているのではないか。
3)各臓器は均等に細胞分裂を繰り返して、一定の形状に達する。この細胞分裂時にコピーミスができるとすれば、そのコピーミスは臓器全体に均等に分布しているはずである。それががんの原因になるのであれば、臓器の至る所でがんが発生するはずである。ところが、がんは慢性炎症の起きる部位で発生することが、永い医学の歴史の中で確立している。慢性炎症の起きた部位でがんが発生するという事実を、コピーミス説は説明できない。
4)国立がん研究センターと理研との共同研究により、肝臓がんの全延期配列を調べた結果によると、がん化する細胞には平均して1万箇所の点突然変異があることが明らかになっている。この結果は、ゲノムあたり1万箇所の点突然変異が蓄積しないと、発がん遺伝子の変異には到達できない、ことを示している。コピーミス説では、特定の細胞に点突然変異が1万箇所も集中して蓄積することを説明できない。
5)慢性炎症が起きると活性酸素種が多量に放出され、その活性酸素種により遺伝子が変異を受けることは、今日ではそのメカニズムも含めて確立した事象である。ところが、医学界には未だに活性酸素種の作用について無関心な人たちがおり、彼らの目には活性酸素種の作用が目に留まらないので、遺伝子変異の原因が分からないままの状態にある。主に、そのような彼らがコピーミス説に飛びついているのではないか。上述した1)〜4)のように、コピーミス説ではがんの発生を合理的に説明できないのに、現在においてもコピーミス説に固執しているのは、活性酸素種の作用に気がつかない、としか考えられない。コピーミス説を提唱した本人たちが、がんは不運な変異により起きると述べていることを見ても、彼らの心情には「あきらめ」が当初から背景にあった、ものと考えられる。
コピーミス説は、このように、がんの発生を合理的に説明する説ではないのに、なぜ、現在においても、その正当性を主張する人たちがいるのか。コピーミス説が間違っているにとどまらず、がんの予防について、「運が悪いためがんになった」との「あきらめ」を説き、害悪をばら撒く役割を果たしていることが、最も重大な問題点である。がんの原因が慢性炎症で発生する活性酸素種であることが明らかとなれば、がんの予防には、慢性炎症を治療すること、さらには抗酸化成分の摂取により、活性酸素種の消去を行うことで、予防の方向が明確になる。それに対して、細胞分裂のために変異が起きて、そのためにがんになるというコピーミス説が蔓延すると、がんを予防することは無理、という結論になる。人々を諦めさせることにより、害悪をばら撒いていることになる。コピーミス説は間違っていることを、改めて強調しておきたい。